創業の原点は、家族の健康不安・・・
株式会社玄米酵素の創業者・岩崎輝明と玄米酵素との出会い、それは昭和46年に遡ります。
そのころの岩崎家は、岩崎自身はもちろん、妻と2人の娘も健康不安に悩まされていました。
そんな折に出会ったある人に「食生活を変えなければ健康は守れない」と諭され、目からウロコの思いをした岩崎。
食べ物と身体の関係、自然の法則に合った食生活、玄米の優れた成分を科学的に解き明かした内容、その人から聞くことすべてが納得でき、理にかなった話でした。
これが、のちの玄米酵素へとつながる最初の出会いとなります。
運命の出会い
勇んで始めた玄米食。しかしながら、白米を食べてきた家族にとって玄米はそう馴染めません。とくに、1歳と3歳の幼い子ども達は玄米になじめず、早々にギブアップしてしまったのです。
思い悩む岩崎のもとに、ある日、千葉県在住の酵素研究家・岡田悦次氏が、「玄米を麹で発酵させることに成功した」というニュースが届きます。
「納豆のように発酵させているなら消化もいいはず。これはいけるかもしれない」と、さっそく取り寄せて食べてみたところ、3カ月も経たないうちに、家族全員がその力を実感しました。
生涯をかける決意
1971年、岩崎は岡田氏の住む千葉へと飛び立ちます。
岡田氏と会い、その研究を目の当たりにし、玄米酵素の素晴らしさに惚れ込んでいきます。
そして、岡田氏の使命感、岩崎とその家族が身をもって実感したこと…。そうしたものが岩崎の中で一筋の道となり、玄米酵素の普及に生涯をかける決意をさせました。
岩崎はその後、勤めていた会社を辞め、2カ月後には早くも玄米自然食と玄米酵素の普及事業をスタートさせたのでした。
マンガで見る「玄米酵素誕生ものがたり」
株式会社玄米酵素の創業者・岩崎輝明と玄米酵素との出会い。
玄米酵素開発者 岡田悦次氏の思い
もともとエンジニアだった自然食研究家・岡田悦次氏が、なぜ「玄米酵素」を開発したのか、その経緯を岡田氏自身の言葉で紹介します。
『私は若いころから常に健康不安に悩まされ、毎日が真っ暗で前途に希望も何もない毎日を送っていました。そんな時、一条の光明を見出しました。自然食をすすめられたことがきっかけとなり、正しい食生活が健康を守ることに気づいたのです。日本人の主食である白米食は栄養的に欠陥食であること、そして日常の食事が加工食品で占められると、さらにビタミン・ミネラルのアンバランスを招くことを突き止めました。
私は玄米食を基本にした食改善に取り組み、見事に健康不安から脱することができました。今後、日本人の食の欧米化、加工商品の氾濫はさらに進み、健康不安に悩まされる人々が増えることが予測されました。
やがて、この私自身の体験を多くの人々に伝えたい、という強い使命感を持ち、「玄米酵素」の開発に着手することになったのです。
玄米・胚芽・表皮は、白米の栄養的な欠陥を補うことができ、食改善の中心的存在となり得る食品です。
これをエンジニアである私が、研究に研究を重ね、麹菌で発酵させ食べやすくしたのが「玄米酵素」です。多くの方々にご愛用いただき、健康に役立てていただきたいと思います。』